先ほど、単に十七年以前に戻ったのではないかということですが、例えばOECF、海外経済協力基金が担っていた有償資金協力の分野でございますが、この分野は今、新しいJICAが担っております。
十七年前に、この国際協力銀行の前身の日本輸出入銀行が、OECF、海外経済協力基金と合併をしています。そしてその九年後、また分離して政策金融公庫と合併して、そしてまた、公庫と分かれて今の組織ができています。 この十七年間で、くっついたり離れたりしているわけですが、まず、なぜ十七年前にOECFと合併したのかが一点目。それから、なぜ短期間でまた分離して今度公庫と合併したのかというのが二点目。
一番最初、OECFと合併したときは、円借款の連携ですとかそういうことを理由に挙げられていたわけですが、その機能は今JICAが持っているわけでして、これはそもそも、十七年前の輸銀とOECFの合併、この時点に戻すのではなくてその前まで戻しているわけですけれども、OECFと輸銀の合併というのは、これも間違いだったんでしょうか。
通常は、例えば日本のJICAの円借款、かつてOECFとかJBICですと、ローンの円借款の金額全部が援助なんですね、つまりODAの条件に合っていれば。中国はその利子補填の分だけが援助として計上されている。つまり、国際的にはローンの全体が援助なのに中国は利子補填の分だけが援助だということで、当然中国の援助額は小さくなっています、中国の統計では。
過去、戦後、三期に分けて私どもの活動を考えられるわけですけれども、まず、OTCA、OECFという海外援助を推進した時代です。その時代では、我々コンサルタンツはエンジニアリング部門のコンサルタントとして活動していたわけです。第二期、JICA、JBIC時代ですが、そのころから少しずつエンジニアリング業務とそれからソフト系のコンサルティング業務がそこの中で始まったわけです。
○武正委員 今回、JICAの投融資機能を再開するということでありますが、JBICとJICAでどのように投融資を分けるのかというと、JICAの方がいわゆるリスクのあるものというようなことが言われているわけなんで、そうしますと、JAIDOについては、今、民間企業というふうなお話でしたけれども、ここにはOECFから六十三億円が投資をされて、うち四十六億円でしたでしょうか、これが債務処理されているわけでありまして
JICAの投融資業務についても、新たな制度、チェック体制を確立した上で実施することが重要だと思いますし、大変な毀損があったわけでございまして、JAIDOの債務状況が悪化して、結果として旧OECF援助出資金の多くが毀損する事態に至ったことは、まことに遺憾なことだと考えております。
JAIDO、これが設立をされ、日本の黒字等の資金管理ということで、過去、経団連を中心に、そしてそこにOECFから出資もしてということで対応をしてきたわけでございます。 四ページ目にそのJAIDOの経緯が出ておりまして、一九八九年に設立をされ、二〇〇二年に解散ということであります。
OECFも出資しておりますし、経団連が主体でこの組織を立ち上げられた。いろいろな企業の方が参加されて、出資され、そういういろいろな企業の方がまたいろいろな案件をこの組織に持ち込まれて、正直申し上げまして、責任体制といいますか、この部分が必ずしも明確ではなかった。
これは参議院の決算委員会でも民主党の榛葉参議院議員が取り上げて、財務諸表を出してくださいと言ってもそれも出てこなかったというやりとりもありまして、組織がOECFからJBIC、そしてまたJICAというような形で変わっている中かもしれませんけれども、それこそ、やはり過去の事例というものの検証が実はきちっとできていない、それから総括もできていない。
この案件形成促進調査というところでありますが、これは旧JBIC、いわゆるOECFですね、円借をやっているところから流れていく援助でありますが、初めこの部分でつまりは取りますと、あとが全部芋づる式に取れるというのが日本の援助の実は一番、何といったらいいんでしょうね、肝なんですね。
○副大臣(橋本聖子君) 今御指摘をいただきました件につきまして、二期に分けてコンサルティングサービスの調達が行われたということですけれども、少し平成十一年度の話からちょっとさせていただきたいというふうに思うんですが、平成十一年に、現在のJICAの有償資金協力を担当していた当時のOECF、海外経済協力基金が案件形成促進調査、これがSAPROFですけれども、をして、ベトナム政府が作成した、先ほど先生がおっしゃられた
これは渡辺大臣の所管ではないと思いますけれども、そういう中で、JBIC、かつてのOECFとJ—EXIMの国際金融業務の一体性をどう図っていこうとしておるのか。また実際、今でもまだ一体の方がいいのではないかという議論があると思うんですけれども、その辺についての渡辺大臣の所感を賜りたいと思います。
御案内のように、JBICが旧OECFと旧輸銀とに二等分されますので、JBICの役員十二人を仮に半分とした場合には合計で三十六名になります。 会社法上は、役員の数というのは会社の自主的な判断にゆだねております。それが基本でございます。他の特殊会社においても同様になっております。ただし、新公庫については政策金融改革の趣旨を踏まえなければなりません。
今のJBICの国際金融部門をJICAと統合というのはこれは、まあそうですね、国際金融、海外経済協力、OECFのオペレーション、それからJICAというと、大体そういう順番にちょっとずつ違うなという感じにはなっていますね。
ただ、組織がどうなっても旧輸銀のOOF、その他政府資金のオペレーション、それから旧OECFの円借款のオペレーション、それからJICAの技術協力と、ここのところはいろんな協力関係をいずれにしても持っていかなきゃいけないという時代になっておりますので、組織がどうであれ、そのプロジェクトによっては一緒に仕事していただくということが必要になってくると思います。
○参考人(木村福成君) 現在の国際協力銀行って元々日本輸出入銀行とそれからOECF、海外経済協力基金というのがマージして、合併してできたものですね。この二つでもかなりカルチャーの違いがあって、彼らも、私はお付き合いありますけど、かなり苦労していたということではあります。
もっと言うと、同じ方にぽっと言っておけば、ああ、これは要は援助だ、これはOECFの範囲だ、これは輸銀の範囲だと、かつての名前で言えば、ということにやはりなっているんですよ、実際に。だから、今大臣が言われた、こちら側の、つまり我が国側の論理で言えば若干そういうところはあったかもしれませんが、やる側もそうでもないんですよ、実際。
いろいろ伺う中で、例えば国際協力銀行、JBICと呼ばれますけれども、私も援助畑の仕事をしておりましたので、この国際金融部門とそれからOECF、いわゆる円借款を中心とした出資機能もございますけれども、こういったものがくっ付いて、ああ良かったなというふうに思ったら、実はシステム的にもいろんなシステムも去年かぐらいの時点でようやくどうも統合できたというようなお話らしいんですよね。
JBICについては、旧輸銀とOECFがたまたま同じ建物の上と下にあって、これは一つにしたらいいじゃないかというような議論も当時聞いたことがございます。ただ、いざ統合してみると、ODAとOOFといいますか、そのほかのオフィシャルファイナンスの違いというのが相当やはり残ってしまったんだろうと思うんですね。
たしか、北東公庫と開銀の統合、それから輸銀とOECFの統合は同じ時期だったような気がいたします。私の記憶が正しければ、村山内閣のときだったのではないでしょうか。あのときも、たしか連立の成果を上げようという形でこういう形の統合が行われたのでありますが、JBICなどは同じ建物の上と下にあるからいいじゃないかというような、相当むちゃな議論もたしか当時あったような気がいたします。
今から十何年か前に旧輸銀と旧OECFを統合して今のJBICができたわけですね。今回はこれを離婚するわけであります。どうも、この二つの組織が同じ建物の上と下にありながら内部の融合がうまくいかなかった。その教訓はよく学ぶ必要があると思うんですね。業務の中身も違いますし、哲学も違ったのかもしれません。 しかし、こうしたものについては、無理やりへ理屈をつければつけられないこともないんだと思うんです。
役員の数でございますが、現行四機関についてでありますが、独法国際協力機構、JICA、これが国際協力銀行から承継する旧OECF業務に対応する役員を含め、単純に合計した場合には、非常勤の五人を含めて四十二人となります。新公庫の役員については、この法案を成立させていただいた後に、組織の具体的な姿を固めていく過程において決めていくことになります。
○国務大臣(渡辺喜美君) たしか今のJBICができる前ですね、旧OECF、それから旧輸銀、これも給与水準違ったんですね。JBICになりましてから、どういう形だったかは詳しく存じませんが、さや寄せが行われて給与水準の是正が行われたと聞いております。
○山本一太君 今大臣がおっしゃったように、私もこのJBIC成り立ちの経緯をずっと見てまいりまして、最初からその旧OECFの部分と輸銀をくっ付けるというのは反対でした。
○国務大臣(麻生太郎君) これはOECFとJBIC、合併するそもそもの話にさかのぼって、あの時代からこの話は長く協議をされてきました。そのときにあって、御記憶かと思いますが、片っ方は十年据置き、二十五年の返済なんというのはそれは銀行業務と言えるかと。そんな三十五年先の話だと。
さっきもどなたか御質問がありましたけれども、それは、OECFと一緒になったときやら分かれたときを思い出しましても、十年据え置きの二十五年ローンなんて、それはあなた、銀行の金を貸す基準か、十年据え置き、二十五年って、ほとんどそのころは、返すころは生きておらぬじゃないかとか、あのころ随分いろいろな意見があって、それが銀行の金融かといってあの当時は、合併するときは随分意見があったのが、今度また別の話になってきておりますので
私は、前回も言ったかと思いますけれども、今回の旧OECFのJICAへの統合というのは大反対でありました。というのは、性格が違う。確かにODAの枠には入るけれども、一方では、技協だとか無償という形の一種の草の根援助に対して、借款と旧輸銀の国際金融というのはある意味でインフラ整備を中心とした生活と経済の発展ということを大前提としたプログラムなので、そこは実は大きく違うところなんですね。
それと、ちょっと別の問題ですけれども、国際金融、これもかつてアジアにおける金融危機におきましては、いわゆる日本の輸銀あるいはOECF等が非常に活躍をし、IMFとか世銀とか国際金融機関と協調をして非常に短い時間に収束をさせたということは、私は高く評価しているんですよ。
何か分かれたOECFが、ちょっと混線されると……
○土屋(品)委員 今のお話にもありましたように、確かに、JBICの中にOECFと輸銀という全く異質の二つのものがあったということから考えれば、まさに今回の改革は、私たちから見れば非常にすっきりしたものになるのかもしれないと思っているところでございますけれども、そこで一番大事なのはやはりしっかりした改革の組織ができることだと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
○麻生国務大臣 今おっしゃいましたように、従来ありました、かつての輸銀とOECFというものを当時合併をさせまして、JBICというものをつくったんですが、片っ方は円借、片っ方はいわゆる輸出入銀行ということですけれども、もう土屋先生御存じのように、OECFの方というのは、円借の話というのは、十年据え置き二十五年なんていうのは、これは金融かと、こんなものが。